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To Be or Not To Be

ある/ないの肯定・否定で同じような場面で使われる言葉があってたまに混乱するときがある気がするのね。

例えばこれ。
ぞっとする >寒さや恐ろしさを感じる or 感動するの意味
そっとしない >感心しない

というわけで、「ぞっとする話だな」って言うべきところで、「ぞっとしない話だな」ってのは「あんまりいい気分じゃないな」みたいなニュアンスなのかね。難しいわ。

同様に、気の置ける/置けないってのもあるなぁ。

気の置ける/置けない人って場合、
「気が置けない」は「気づかう必要がない/遠慮のいらない」人っていい意味の方で、気の置けるってのは「気を使わなきゃらならん」人という一般的な解釈だと、逆の意味になりそうな言葉だわね。


これらとは違うけれど、とんでもないってのもややこしい言葉のひとつかね。

とんでもあるっていう反対語がないことからも、これはある/ないの語ではないのに、丁寧のつもりか「とんでもございません」とかっていう表現をたまに聞く。
正しくは「とんでもないことでございます」だとか。
「とんでもない」というひとつの形容詞がとんでも・ないに区切られて考えられ、丁寧語として”ございません”が出てきたと。

でも、これも現代ではなんか許容表現としてアリらしい。
「とんでもございません」(「とんでもありません」)は、相手からの褒めや賞賛などを軽く打ち消すときの表現。
ただし、「とんでもございません」は、「とんでもないことでございます」とは表そうとする意味が若干異なる。
「とんでもございません」を用いることができる場面で、「とんでもないことでございます」と言ったのでは、「あなたの褒めたことはとんでもないことだ」という意味にも受け取られるおそれがあると。

なんとも、ややこしいな、謙遜としての「とんでもございません」を認めるとそういう弊害も出るってことだね。

日本語はムズカシイ(・3・)



何はともあれ、言葉は生もの。世界は民主主義。
本来の意味と違うものになっても、今そこに生きている人々が意図して使っている意味が、最終的には言葉の意味になるもの。

厳格にこういう意味の言葉として生まれたのだから、いつまでもこうあるべきと固定するか、言葉は結局コミュニケーションツールなんだから、意味が変化しようと、それで通じるのであればそれでいいという変化を許容するかで、正しさみたいなものは拠って立つところで変わるんだろうねぇ。

なんて言葉の奥深さを感じつつ、来週のタイトスケジュールな忙殺PJから逃避を図っているMe。
日曜出勤なんてごめんなんだぜっ
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2010.08.20(Fri) | Blather | cm(0) | tb(0) |

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